【ロンドン旅行】㊽ ロンドン塔、タワー・ブリッジ

ロンドン

海外旅行に行きたい! ロンドン旅行。今回はロンドン塔とタワー・ブリッジの紹介です。

悲しみが来るときは、単騎ではやってこない。かならず軍団で押し寄せる  (シェイクスピア 英 劇作家 1564-1616)

旅行者にとってロンドン塔とタワー・ブリッジはロンドンの東の果ての観光施設です。もちろん、ここは市の中心部の一画ですし、更に東に行くとグリニッジがあるのですが、ポツンとあるグリニッジを訪れる以外にはここから東のエリアに興味を抱くことも、訪ねることもないと思います。そのエリア、すなわちタワーブリッジの下流に広がるエリアは自動車が生まれて普及するまでは、ロンドンの経済を支えた大きな外港でした。タワー・ブリッジは跳ね橋ですので、大型船も下を通過できるのですが、たくさんの大型船が頻繁に往来することは昔から無理だったはずです。この橋から下流にテムズ川の両岸を繋ぐ橋はありません。橋のない下流域に船溜まりや倉庫、造船場などが集中して造られました。今の時代は、物流はトラックが中心ですので、これらの荷揚げ地は不要になり徐々に再開発が進んでいます。グリニッジ対岸にあるカナリー・ワーフは船溜まり跡を埋め立て、大きな高層ビルが建ち並ぶビジネスエリアとして再開発された場所です。

ロンドン塔

ロンドン塔(TOWAR OF LONDON)はロンドンで一番説明しづらい観光施設です。世界遺産であり、所有者は王室です。しかし、ここを見物した後の印象は、正直、立派な石造りの城。遠足の子供たち。土産物屋。なんだかちょっと気味悪い中世の牢獄。アトラクション風のスタッフ。残った印象はこれだけです。そう、王冠や中世の鎧兜の展示もあります。私から見えているロンドン塔は古くて価値ある歴史遺産のはずですが、自分なりのまとまったイメージを持てないのです。夏目漱石は(古い話で恐縮ですが)ここを見て、イングランド王室のどろどろしたヒストリーに興味を持ったのですが、文学者はここの牢獄や教会を見て感じるところがあるのだと思います。

紀元前後にローマ時代のローマがイングランドを制圧し、ロンドンはテムズ川を上った場所に橋頭保として造った統治領の中心都市で、イギリスで最も歴史のある都市です。ロンディニウムがロンドンの最初の名前です。5世紀頃、衰退したローマ帝国はイギリスから退きました。その穴を埋めるようにアングロ・サクソンが大陸から侵攻、統治する時代に移りましたが、その7王国時代はイングランドは長い間分割した領土となりましたので、ロンドンには大勢の人は住んでいたらしいのですが、王朝の首都となることはなく歴史の舞台からは一旦消えたようです。9世紀のバイキング侵攻にもロンドンの名前が出てきますが、ロンドンが歴史上で表に出てくるのは11世紀にフランスのノルマンジーから侵攻してきた現王室の先祖であるウィリアムⅠ世が1,000年ほど昔、ロンドンに首都を置いたことに始まります。その時に外敵に備えるためにテムズ河畔に築いた城がロンドン塔です。【㉛ 博物館_5 (歴史博物館)参照】そういう点からは現在のイギリスの歴史を開始した原点としての象徴的な存在がロンドン塔ということになります。

ロンドン塔は無休で9:00-17:30(最終入館17:00)に開館しています。入場料は大人£29.9です。

ロンドン塔(Home)

交通は(地)はタワーヒル駅(サークル、ディストリクトライン)の側です。

市内交通のところで紹介しましたように、2階建てのバスに乗ってみたい人は、ここからのバスの利用が間違いが起こりにくくて安心ですのでお薦めします。行き先はトラファルガー広場です。以下のページを参照ください。

【⑮市内交通_2 (2階建てバス、ロンドン・キャブ)】

タワー・ブリッジ

ロンドン塔のすぐ側にあります。タワー・ブリッジは開閉式の橋で、隅田川の勝鬨橋と違うところは、今も動いているということです。動かすのは週に3回。ホームページに開閉時刻(Bridge Lift Times)が載っています。内部の見学ができるようになっていて、一応博物館になっています。橋をどうやって動かしているかなどの説明を見ることができます。興味のない方は、それらをパスして上部の歩道橋まで上がってください。下の展望台のところで紹介しましたように、お勧めの展望台です。上流側だけでなく、下流側も是非景色を楽しんでください。

タワーブリッジ(Home)

【㊹ 展望台(ザ・シャード、ロンドン・アイ、タワー・ブリッジ)】

タワー・ブリッジは無休で9:30-18:00(最終入館17:00)に開館しています。入場料は大人£10.6です。

これはサイト全体の通知の一例であり、カスタマイザーの「Store Notice」でこのテキストを変更または削除できます。 非表示