【イタリア旅行】㉟ (ナポリ・カプリ島) ざっくりナポリの歴史-2 (ローマ時代~)

イタリア

海外旅行に行きたい!イタリア。今回はナポリと南イタリアの歴史についてザックリと振り返る2回目です。

物語と同じで、人生は長さではない、内容なのだ セネカ (ローマ帝国 哲学者 BC27 – AD68)

ローマ時代

地中海の覇権はギリシャからローマに移ります。ナポリ周辺の地域はイタリア半島の南部、シチリア島よりも北に位置しギリシャの影響を強く受けていた地域です。ローマは紀元前500年頃に王政から共和制に代わり、以降領土の拡張を続け紀元前300年頃までにイタリア半島全域にその版図を広げました。ナポリ周辺の種族もローマとの戦争に敗れ、ローマの支配下に入りました。ただ、ローマ人のギリシャ文化に対する畏敬の念はローマが帝国となってからも続き、ローマ人貴族の家に雇われる家庭教師(奴隷)はギリシャ人で、ギリシャの学問を教えていたという話は有名ですし、最近読んだ資料では、ナポリではローマ時代に入ってもラテン語ではなく、ギリシャ語が使われていたようです。そういった時代背景の中でナポリはギリシャの植民都市であったこともあり、地理的にも文化的にもローマ帝国におけるギリシャへのゲートとして機能します。

ポンペイがベスビオ火山の火山灰に埋もれたのは紀元79年です。ポンペイはここで消滅しますが、現在多くの観光客が訪れるポンペイは消滅するまでどんな都市だったのでしょうか。カプリ島には皇帝の別荘があったことで有名ですが、ポンペイが位置するナポリの周辺地域は温暖な気候とその景観からローマ貴族の別荘が立ち並ぶ経済的に豊かな場所だったことと、ポンペイ近郊にある港からの航路とポンペイから後背地への陸路が人や物の往来を活発にし、ポンペイを豊かな街としたようです。とはいえ、ポンペイがローマ帝国の中で特別な街であったかというと、西暦100年頃のローマ帝国の版図は西は現在のイギリス、スペインまで、東はイラク、エジプトまで及んでいて、数多くの植民都市がローマを中心に宇宙に浮かぶ星々のように散らばっていました。その中でポンペイには当時1万人に及ぶ人が住んでいたと言われますが、一方、ローマは100万人もの人が住み暮らす都市だったわけで、そういった意味ではポンペイ自体がローマ帝国の中で特別な存在だったのかというと、そういうことではなく、帝国の中にたくさんある都市の中で、ごく普通の街の一つとして存在したということのようです。

もう一つ、ナポリの西15kmの海岸線にバイアという名の港があります。日本の観光本で紹介してあるのを見たことがないのですが、立派な考古公園(Complesso archeologico di Baia)があります。この公園は目の前に広がるポッツオーリ湾(Golfo di Pozzuoli)の中に広がっています。ローマ時代の皇帝の別荘もあったバイアという町が火山噴火の影響による町の沈降で水中に消えたそうです。ここを見る方法はグラスボートかスキューバダイビングによるツアーになります。ナポリの町の観光案内でもう少し詳しく触れたいと思います。

「Progetto MUSAS – Il Ninfeo Imperiale Sommerso di Punta dell’Epitaffio a Baia」(
Progetto MUSASさん 5min)

西ローマ帝国の滅亡

西暦400年頃が一つの節目です。ローマ帝国没落の瞬間です。これはローマ帝国の西側の支配地域全域で短期間のうちに起こりました。ライン川以東に住んでいたゲルマン人の民族大移動がその引き金だったようです。ゲルマン民族との軋轢により、西ローマ帝国は100年を経ずして消滅してしまいます。象徴的な事件は410年に起こった西ゴートによるローマ略奪で、地中海世界で当時最も富裕で100万都市であったローマの財はことごとく収奪されてしまいました。西ゴートによる収奪はイタリア全土で起こりましたので、ナポリもその例外ではなかったでしょう。ナポリにおいてもローマ時代はここで実質的に終わりを告げました。

イタリアの戦国時代

歴史の本によると、西ローマ帝国が滅亡した後、イタリアに中世が訪れます。西ローマ帝国の滅亡時にイタリア半島を支配する皇帝位は東ローマ帝国の皇帝に移されるのですが、戦いで半島を制圧した東ローマ帝国の将軍が王を称してイタリアを実質支配する時代が始まりました。日本でいえば、戦国時代の統治構図のようなものです。西暦500年頃、東ゴート国ができます。王は軍事統治をする人で、独立国とはいえ、文治は東ローマ帝国の影響下に置かれていたそうです。王国はできましたが50年しか持たず、以降、イタリア半島内では戦乱が絶えず起こり、ナポリも大きな戦争に何度も巻き込まれて略奪が繰り返され、街は荒れ果てたようです。ナポリに関するもう一つの変化が、ローマ時代まではギリシャへのゲートとして南イタリアが脚光を浴びていましたが、西ローマ帝国の滅亡以降、現在に至るまで、政治、経済、文化の中心はフランス、ドイツ、オーストリアといったアルプス以北の国々との深い関わりを持つミラノやヴェネチア、フィレンツェなど、北イタリアに半島の中心が移っていきます。このころからナポリは人口の多い都市ではあるものの、歴史的にも注目を浴びない街になっていきます。ただ私の個人的な救いでしかないですが、何かの資料で見たのですが、イタリア半島におけるゲルマン人の血は遺伝的に2%にしか過ぎないそうで、それが本当であれば、現在もイタリア人は地中海から集まってきた人たちで構成される国のようです。

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