【イタリア旅行】⑰ ヴェネチアに行く ~ ヴェネチアの歴史 最大の特徴は1000年もの間続いた市民社会

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海外旅行に行きたい!イタリア 旅行。今回はヴェネチアの歴史について説明します。

旅は私の学校だ。自分の目で見、自分の頭で考える マルコ・ポーロ (伊 商人 1254-1324)

ヴェネチアはイタリア半島の東側の付け根に位置し、北部イタリアでミラノ、フィレンツェと正3角形の頂点を構成しています。また、ヴェネチアは多くの外国人観光者が訪れるイタリアで最も人気のある観光デスティネーションの一つで、運休前のオリエント・エクスプレスの目的地がヴェネチアでした。誰もがこの街を世界一の水の都として認めるでしょう。

ヴェネチアの歴史

成り立ちは西暦400年 騎馬民族侵攻からの逃避

街の成り立ちは西暦400年ごろローマ市民がユーラシア大陸の中央から侵攻してきた騎馬民族から逃れ、海の中にある葦が生い茂る砂州に逃げ込んで住み暮らしたのが起源とされています。ここはイタリア半島の東側を包む海であるアドリア海(湾と呼ばずに海と呼ぶくらい大きい)の一番奥に位置しており、周囲を砂嘴(さし)に囲まれていることから、海は穏やかで、ローマ時代から、船の停泊場所として利用されていたエリアだそうです。騎馬を得意とする侵略民族には不得手な沖合の湿地帯で、経済価値もないことから、西ローマ帝国の崩壊後にできた東ゴート族によるイタリア時代に、侵略民族だったゴート族には手つかずの土地になったようで、このエリアは陸地側から独立したまま後にビザンツ帝国となる東ローマ帝国の領地として長く残ったようです。

1200年頃、ビザンツ帝国の下で地中海の覇者となる

ヴェネチアは、ミラノやフィレンツェ、ボローニャなどの経済的に豊かであった北部イタリアを後背地に持ち、イタリア半島とバルカン半島に挟まれた穏やかな海、アドリア海(湾と呼ばずに海と呼ぶくらいですから大きいんですね)の一番奥の、しかも砂嘴に囲まれた穏やかな海に面したビザンツ帝国の港町として成長し、アテネ(ギリシャ)やコンスタンチノーブル(トルコ)、アレクサンドリア(エジプト)などへも比較的危険の少ない穏やかで、避難地を確保しやすい海を航海することができたでしょうから、造船技術や航海技術が未熟であった古代から中世にかけて、東ヨーロッパの文化を西ヨーロッパにもたらす、人や物資を運ぶ東西航路の西側の主要な港町の一つとして地理的にも政治的にも大変有利な立場にありました。

ヴェネチアはこの地中海交易で富と実力を蓄えました。ビザンツ帝国の首都であったコンスタンチノーブル(今のイスタンブール)からは離れていることから、帝国の勢いの衰えとともに占領地も増えて、徐々に独立色が強くなり、最終的には1200年頃十字軍のコンスタンチノーブル占領時にビザンツ帝国から独立し、ヴェネチアが地中海を制する覇者となりました。こうした歴史の中で、選挙を行い代表者を選ぶという王のいない市民社会、いわゆる共和制を作り上げ、1,000年もの間維持しました。マルコポーロはヴェネチアの人ですが、彼が活躍したのもこの時代です。

都市国家としての消滅は1800年頃にナポレオンの侵攻

15世紀半ばにビザンツ帝国に替わってオスマントルコがコンスタンチノーブルに首都を置き、地中海世界で勢力を拡張する中、ヴェネチアは地中海の経済基盤を次々と失い衰退を始めます。独立した都市国家としての命脈は保ちますが、18世紀末、ナポレオンがオーストリアとの戦争において中立宣言をしていたヴェネチアに侵攻、制圧してしまい、フランスとオーストリアの停戦協定によりヴェネチアはオーストリア領に組み入れられます。これにより、1000年もの間続いたヴェネチアの共和制都市国家は終わりを告げることになります。これ以降もヴェネチアが往時の勢いを取り戻すことはありませんでした。

現在のヴェネチア

ヴェネチアはイタリア北部の中核都市の一つですが、市の人口は半島側の地域も含めて26万人ほどで、大都市というわけではありません。ミラノは130万人、その西にあるトリノは90万人の人口ですし、周りにあるジェノバやボローニア、フィレンツェよりも小さな都市で、イタリア全体では11番目の人口です。フィレンツェの主な産業は観光と工芸で、まさしく生粋の観光都市と考えて差し支えありません。町全体が観光をコアとして経済が成り立っています。ヴェネチアに入る公共交通機関は鉄道、航空、バス、外航フェリーの4つです。

ベネチアの特色は観光地である市の中心部が沖合にある島であるということです。島と半島の間には橋が架かっていますが、鉄道もバスも島の入り口までは乗入れていますが、島内の移動は歩きか船ということになります。島内の道路のほとんどが建物に挟まれた路地ばかりで、運河といっても小路のような運河も多く、街の様子は碁盤の目とは対極にあるような入り組んだ路地と運河で網羅され、大小の運河を跨ぐ橋も少ないため、この街で迷わずに目的地に行くことのできるのは地元の人だけだと思います。

ここではヴェネチア旅行は初めてで、是非行ってみたい人にわかり易いガイドを心がけます。観光のポイントは歴史のところで触れましたように、1000年もの間、共和制の都市国家を保ち続けた歴史にあると思っています。ヴェネチアにはきらびやかな王宮はありません。教会や美術館はありますが、ローマやフィレンツェの美術館ほど人目をひくものではありませんので、ここではあくまでも中世に栄えた市民が住み暮らす海上都市のたたずまいを楽しむというのが主な目的となると思います。

ヴェネチアでは高潮によりサンマルコ広場が海水で水浸しになる映像を何度か見たことがあります。年に1回あるかないかという頻度で起こるようですが、ベネチアでは毎年秋から冬にかけ、強い南風を受けた海水が押し寄せて水面が1mから2m上昇することがあり、ヴェネチアでは歴史地区の大半で浸水被害が起きています。ベネチアを高潮から守るモーゼという名称をつけた可動式防潮堤がイタリア政府により建設されましたが、2020年冬の高潮時に作動させたものの上手く機能せず、最終的な完成はもう少し先ということのようです。

もう一つ知っておいたほうが良いと思われる情報が、ヴェネチアの沖合市街区には下水システムがないということです。島内の大型施設は個別の下水処理装置を必要とするそうですが、建築物は相当古いものばかりですので、処理機能は限定的であると思われます。運河も含め島を取り囲む水は海水(塩水)ですので、ある意味衛生的ではありますが、間違っても運河の水に手を浸したりすることのないよう気をつけた方がよいと思います。

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